はじめに
この対談記事は、統合失調症の当事者である私たち二人が、自らの経験や考えを共有するものです。
本記事の内容は、医師や専門家の監修を受けたものではなく、あくまで個人の見解に基づいています。治療や診断に関する情報は、必ず専門の医療機関にご相談ください。
読者の皆様が何かしらのヒントを得たり、考えるきっかけとなれば幸いです。どうぞご了承ください。

はい。今日も雑談、始めていきます~(^_^)/

はい、今日から対談ですね。

はい~(;^ω^)

はい、対談でwww
今回なんですけど、またリクエストをいただきまして、「認知行動療法」について対談してほしいということでした。

おお、素晴らしいですね!!私の興味のある分野です!

そうなんですね!心強いです。僕自身、認知行動療法という言葉は聞いたことがあったんですが、詳しく知らなかったので、調べた内容を簡単に説明しようと思います。

お願いします!

はい。認知行動療法は、大きく「認知療法」と「行動療法」に分けられ、それらを統合したものも認知行動療法と呼ばれます。これらの共通点は、自分の日常で起こった考え方や行動を記録することです。 認知療法は、自分の考え方や行動パターンを見直して、より柔軟な思考を促すことで、感情や行動を調整するのに役立ちます。ネガティブな考え(認知)や行動パターンを、より現実的で機能的なものに変えることを目指します。

記録して、それに気づき、改善していく、という感じですね。

はい、そうです。認知療法では、状況や感情が変化した時に瞬間的に浮かぶ思考や考え方を特定し、その思考が本当に正しいのか、事実に基づいているかを記録した内容から考えて変えていく、ということになります。

続けてください。

次に「行動療法」についてですが、これは行動パターンを変えることで気分を改善する心理療法です。 日常生活の行動を記録し、楽しい活動とそうでない活動を把握します。 そして、楽しい活動や有意義な活動を増やし、生活リズムを整える計画を立てます。 不安な感情や状況を避けるのではなく、積極的に向き合う行動を促し、最後に行動の結果を評価し、自己肯定感を高める取り組みを行います。 なので、行動療法も自分の記録した内容や行動を客観視して、最終的には自己肯定感を上げる形に持っていくものなのかな、と考えました。
そして、それらを組み合わせたものが認知行動療法、という事になります。

なるほどですね。

この説明を受けて、ころたんさんが実際に認知行動療法で経験したことや考えたことなど、具体的なイメージがあれば教えていただけますか?

実際に私が認知行動療法を受けたわけではないので、実体験はお話しできないのですが、今の説明を聞いて思ったことは、認知療法、行動療法、そしてそれらを組み合わせた認知行動療法、どの方法も、まずは自分の今の考え方や行動に「気づく」ことが出発点なのかな、ということです。 その気づきのために記録を取るのだと思います。

そうですね、僕もまさにそう思います。自分の認知や行動がおかしいことに気づけないと、他の人がしないような考え方や行動を続けてしまうかもしれません。 「自分はおかしい」と気づくための記録が、認知行動療法の記録なのかなと感じました。

なるほど。確かに、思考パターンや行動の「おかしい」ところに気づくためには、自分で気づく必要があるというのは分かります。ただ、大地くんの言う「おかしい」という表現が、私には「現実とすごくかけ離れてしまっている」というニュアンスに聞こえました。私としては、必ずしもそこまで飛躍的におかしいというよりは、物事をいつも悪く捉えてしまったり、ネガティブに捉えてしまったりすること、あるいは行動についても、楽しいと感じられなかったり、無理にさせられていると感じたりすることなども含まれるのかな、と思いました。

なるほどですね。些細なことにも目を向ける感じですかね。
逆に、些細なことから自分自身の思考や行動に目を向けることがスタートなのかな。

妄想などの症状は自身に確信があるだけに、すぐに気がつけるものではないような気がしていて。小さな気付きの積み重ねで気づける部分もあるのかなって私は思いますね。
私は統合失調症になってから、自分の状態に気づくことを結構意識してきました。 それが、先ほど聞いた認知行動療法の「自分の思考や感情や行動に気づく」というところと共通しているなと思ったので、お話しします。具体的には、認知の記録、行動の記録、両方に通じるものとして「日記」を書いていましたね。

なるほど、日記ですか。

はい、日記と、もう一つやっててよかったなと思うのが、寝る前に今日あった良いことに感謝する、という習慣です。

「今日あったいいことに感謝する」というのは、まさに行動療法の「楽しい活動を把握する」という部分に繋がっていたんじゃないかなと思いました。

そうですよね。楽しいことを拾い上げるという意味で、ありがとうをいくつか言って眠りにつくのは良かったと思います。

日記に関しても、認知療法に繋がる部分があったのではないでしょうか。日記にネガティブなことばかり書く人は少ないと思うので、時にはネガティブなことを書くにしても、自分の考えや行動パターンをより深く理解するきっかけになっていたのではないですか。

日記については、大地くんが言うように、常にネガティブなことを書く人は少ないというのは同意しますが、私自身はネガティブな情報もしっかり書いていました。 嫌な感情や苦しい感情も書くことで、「私はそういう感情を抱いたんだ」ということに気づけるんです。

なるほど。

日記というと、出来事中心に書くイメージがあるかもしれませんが、私の書く日記は出来事中心ではないんです。

僕は日記をほとんど書いたことがなくて、小学生の時の夏休みの日記も書かずに出さなかったタイプなので・・・(笑

日記を書くのが好きな人はあまり多くないかもしれませんね。 私が書いていた日記は、例えば「今日は出かけました」とか「嫌なことがありました」という出来事だけではなく、自分の感情や発見したこと、そこから繋がる思いまで書くように気をつけていました。

イメージとしては、日記に近いけれど、自己分析のような感じでしょうかね。

そう言われるとそうかもしれませんね。 例えば、出来事中心だと「今日は早く目が覚めてぼーっとした」となります。 それを発展させると、「今日は早く目が覚めて、ぼーっとする時間が取れて良かった」とか、「ぼーっとする時間があったから自分はダメだと思った」とか、そういう自分の思ったことまでフォーカスを広げる。 さらに、「ぼーっとする時間があったから、その後に何かできる気力が湧くような気がした。何も考えない時間が自分にも大切だと思った」というように、自分の気持ちや思ったことまで書いていくと、ただの出来事記録ではなく、大地くんが言ってくれたように自己分析に繋がるんです。

今聞いた感じだと、認知療法の「ネガティブな認知や考え方、行動パターンをより現実的で機能的なものに変える」というプロセスに近いように感じました。

そうですね。ネガティブなことを書いてしまう時もありますが、それでも「ネガティブな感情だったんだな」と気づけることが大きいんです。

客観視できていますよね。

日記を続けることで、1日1日の自分の状態をチェックできるんですよね。 書けない日があったとしても、「昨日は書けないほどの状態だったんだな」とか「書く暇がなかったんだな」とか、書かないこと自体も自分の状態チェックに役立ちます。

なるほど。

そういったところが、認知療法の入り口に少し通じるものがあるのかなと思いました。

僕もブログをやっていて、日々の気づきや体調などを記録していますが、後から見返すと自分がどういう気持ちだったか、どういう状況だったかを客観視できます。 感情や行動の記録を認知行動療法として客観視するために書くのもいいですが、ころたんさんの日記や僕のブログのように、楽しみながらできる内容の方が続けやすいのかな、と今回感じました。

私も楽しむことが大事だと思っています。 日記を後から見て「こんな時こう思ってたんだ」と振り返ることもありますが、それが今の瞬間にも役立ってくるんです。

ある程度症状が改善されると、思い出としてすごく大切なものにもなりそうですよね。

日記を書く時は1日の終わりに「この時どう感じてたかな」と振り返りますが、それが「今自分はこう思っているんだな」と現在を把握するのにも役立つんじゃないかと思うんです。 今日あった嫌なことで今すごくイライラしているとか、過去だけでなく「今」にもフォーカスを向けられる。 それが、何かが起こった時に自分がそれをどう認知し、どう感じたかというところに意識を向ける練習になるのかな、と。

はい、ありがとうございます。

そこで今、「物事を認知して」という話をしましたが、そもそも認知行動療法の「行動」はわかるにしても、「認知」って難しくないですか?

そうですね、「認知」という言葉自体は聞いたことがあっても、「認知とはなんぞや」と考えると、はっきりとは理解していませんでした。

私も認知行動療法と聞いて「認知ってなんだっけ?」と思ったので、次回はその「認知」について理解を深められたら、認知行動療法についてももっとよくわかるようになると思うので、取り上げられたらいいなと思います。

はい、じゃあ今回はこんな感じで終わりたいと思います。

ありがとうございました(^_^)/

ありがとうございました!(^^)!
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