こんにちは。ころたんです(*^▽^*)
大地君の先日の投稿を読んで、感じたことを書きます!それは、「病識が持てること」と「納得して主体的にお薬を飲むこと」の大切さです。
まず、大地君も言っているように、妄想の症状は自分の考えを確信してしまうことが病識を持てない最大の理由なのかなと思います。例えば「あの人は私が嫌いに違いない。危害を加えようとしている。」といった被害妄想。
健常者の方でも、他人の言動から「あの人、私のこと絶対嫌い!」という妄想的思考はだれしも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
どこから統合失調症の症状でどこまでが取るに足らない一過性の妄想なのか、考察したこと具体的に書いていきたいと思います!!(^_^)/
ポイントは確信の強さ・修正可能性・日常生活への影響だと思っています。長期間「~に違いない」と信じ続ける持続的な確信、「もしかしたら私の考えすぎ?そうじゃないかも?」といったように修正できない強い確信、その確信によって、対人関係の悪化や孤立などの日常生活への影響がある場合、病的な妄想の可能性があるのかなと。
長く続いて修正もできない妄想に囚われてしまった人が、「自分は病気の症状のせいで、日常生活に悪影響が出ているんだ」と病識を持てる可能性は高くないことが想像できる気がします。
大地君がころたんは数少ない病識を持てた人だと紹介してくれましたが、私が病識を持った瞬間が皆さんのヒントになるかも!!(^^)!
私も相当ひどい妄想に囚われていました。「監視されている確信」、「愛されている確信」がありました。その妄想が爆発的にピークを迎えたとき、家族が異変に気付いて病院へ連れて行ってくれました。
クリニックにかかると、その場で統合失調症と診断されたかは不明なのですが、即入院の判断が下されました。入院先の病院で、保護室というマットしかない部屋に入れられたとき、鎮静剤で朦朧とする意識の中、こう思いました。
「私は精神が壊れてしまったんだ。だから精神病院に入らなければならなくなってしまった。」と。
このように医療に繋がった際に自分がおかしいという異変と病識を持ちました。
それから服薬を開始しました。薬の効果は劇的なものではなく、最初はプラシーボ薬なのだろうという妄想さえもありました。しかし、数日が経過し薬の作用で妄想が少し弱くなってきたころ、院内の患者教育で、診断された統合失調症の特徴を学ぶ機会がありました。どんな病気でどんな症状があり、どんな経過をたどっていくか。薬の作用と副作用。その教育があったから、私は自分が置かれている状況を正確に理解し、服薬を主体的に行おうと心に決めることが出来ました。
今振り返り、私の経験が誰かのヒントになることがあるかと考えると、思い浮かぶことがあります。
それは、以下です。
- 医療と薬に繋がった時に、自分の身の異変に気付いてほしいこと。
- 自分は正常である、周りがおかしいんだと確信があっても、気持ちが楽になるお薬だと思って飲んで欲しいこと
- 気持ちが少し落ち着いたところで、それがどういうお薬で、どんな作用を以て、気持ちが落ち着いたかを学んでほしいこと
これが出来れば、お薬を飲む必要性を理解したうえで納得して服薬を出来るようになるのかなって。
また大地君も服薬の継続のことで症状が落ち着くと服薬をやめてしまう人が多いことを挙げてました。服薬を続けるべきかどうかは医師の判断によりますが、私は長期的な服薬を指示され、納得して飲み続けています。その理由は、脳の神経伝達物質の調整するのがお薬の役目で、お薬の力を借りている上で今の安定した状態が成り立っていると理解できているからというのが大きいと思います。
そのお薬にどういう効果があるのかを理解できれば、より一層お薬を飲まないとっていう気持ちになれると思います!(*^^)v
大地くんが書いていたことなのですが、当事者の方は、精神疾患を持ってしまった以上、お薬を飲まないと再燃してしまう可能性があります。いかに精神疾患を自分の一部として受け入れるかが病気とうまく付き合うポイントかなと思いました。
『ただお薬を飲むだけの日常』から、『お薬を飲んでいることでの恩恵を受けられる日常』へ。病気じゃないと思いながらただお薬を飲み続けるだけの日常を送ることは苦痛でしかないのですが、お薬を飲むことでこんな良い恩恵が受けられるんだ!! って分かれば、お薬への考えも変わると思いますよ!(^^)!
どうせお薬を飲まないといけないなら、その必要性を理解できる状態になって、得られる恩恵は全部受けていこうという気持ちでいてくれればうれしいなって思います(≧▽≦)/
同じ統合失調症の仲間やご家族の参考になれば幸いです(/・ω・)/
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