こんにちは(^O^)/
統失サラリーマンのころたんです!
「偏見がある」と感じたとき、それは本当に相手のもの?
誰かの態度や言葉に対して、
「この人は偏見を持っている」と感じることがあります。
それはとても自然な反応であり、
実際に偏見に満ちた社会の構造やまなざしがあることも否定できません。
けれども時に、その「偏見を向けられている」という感覚が、
実は自分自身の中にある“セルフスティグマ”に
強く影響されていることがあるのではないか。
そんなふうに思うことがあります。
たとえば、自分を「劣っている存在」とどこかで感じていたり、
「どうせ理解されない」と諦めがあったりすると、
相手の中立的な言葉さえも、「見下されている」と受け取ってしまうことがある。
それは、相手が差別しているというよりも、
自分の内側がすでに傷つきやすくなっていて、
世界を“そういうふうに”見る準備ができてしまっている、ということかもしれません。
これは、自分を責めるという意味ではありません。
むしろ、自分を守るために身につけた感受性とも言えます。
でも、もしそこに気づけたなら、
少しずつ「偏りのフィルター」を外すきっかけにもなるのではないかと思うのです。
偏っているのは相手か、自分か。
その問いに、白黒の答えを出す必要はありません。
どちらにも少しずつ偏りがあり、
それに気づけたときに初めて、対話や理解が始まるのだと思います。
今日もお薬飲んで、自分の調子に目を向けます\(^o^)/
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