
雑談はじめます\(^o^)/よろしくお願いします!!

よろしくお願いします!!
ちょっと今回なんですけど、僕が気になったことがあって。
「心配する」ということについて、ちょっと考えてほしいんです。

ほうほう、「心配する」かぁ。

統合失調症の人を心配する、特にご家族が当事者のことを心配するのって、当たり前のようによくありますよね。心配するのは、ある意味仕方がないことというか。

うん。確かに統合失調症になると、発言や行動が色々と乱れてしまうことが多いので、それに直面したご家族が「どうしちゃったんだろう、大丈夫かな」って心配になるのは自然なことですよね。

そうですよね。で、僕は「心配」ってどういう理由でするんだろう?と考えてみたんです。僕なりの結論は、「わからない」ことがあると心配になるのかなって。

なるほどですね。

例えば、クラスで泣いてる子がいたとして、その泣いている理由がわからないと「どうしたの?」って心配になりますよね。でも、理由がわかれば、例えば「告白して振られた」とか「部活でレギュラー取れなかった」とか、その理由がわかれば、「心配する」から次の行動、例えば励ますとか、一緒に練習しようぜとか、そういう行動につながるきっかけに変わると思うんです。

確かに。なくしもので泣いてる子に「何かないの?」って聞けたら、一緒に探すとか、心配するんじゃなくて具体的な行動に移せますもんね。原因がわかると、理解があると心配は軽くなる。それは言えてるなと思いました。

統合失調症に関しても、心配している人は、やっぱり「わからない」ことに対して心配しているのかなって。これは統合失調症に限らず、心配という感情の共通点だと思っています。

じゃあ、統合失調症の当事者の状況も、学校で泣いてる子と同じように、なぜそうなっているのか、なぜ苦しんでいるのかが「わかれ」ば、心配は軽くなる、と思いますか?

はい、僕はそう思っています。

うん、確かにそうかもしれないですね。(自身の経験について)家族が心配して、気にかけてくれるのはありがたかったんですが、同時に「心配をかけたくない」という思いもありました。回復していく中で、だんだんと家族を安心させることができたな、と感じています。それは、私が自分の状態を理解して、「大丈夫だよ、安心して」という姿勢を見せられるようになったからかなって。めちゃくちゃな状態の時は、家族も本当に心配だったと思います。でも、良くなっていく様子がわかることで、家族の心配も軽くなっていったのかな、と。さっきの話と同じで、「大丈夫そうだ」という様子がわかること、理解が心配を和らげるんですね。

なるほどです。

ただ、心配する気持ちはわかるけれど、心配しすぎると、それはそれで大変ですよね。家族も気が気じゃないし、当事者としても心配されすぎると「自分はそんなに大丈夫じゃないのかな」って逆に不安になってしまうこともあるんじゃないかなって。

家族が統合失調症になった時って、病気のことがわからない人が多いと思うんです。だから不安になるし、心配する。「一生治らないんじゃないか」「ずっとこのままなんじゃないか」って。僕自身も再発した時、将来に対する不安がありました。自分の将来が「わからなかった」から。でも、年齢のこととか、障害者雇用のこととか、そういう事実を知ることで、少しずつ「わからない」ことを減らしていきました。
僕の母も、最初はわからないことからの不安や心配があったと思います。でも、僕が11年病気と付き合ってきて、体調不良の時は腹痛や頭痛、めまいがする、ということを何度も伝えているうちに、「それは一時的なものだろう」ということが母にもわかってきたらしく、今は以前ほど心配していないと思います。心配を和らげるためには、相手のことを理解する、つまり「わかる」ということが、統合失調症においても大事なのかなって。

うん、そうですよね。多くの人がたどる回復の道のりとかがわかっていたり、当事者自身の経験が見えてきたりして、「わかって」くると心配は和らぎますよね。

僕がよく聞くのは、親御さんが「親なき後のこと」を心配する、という話です。

言いますよね、よく。

親がいなくなった後、子供がちゃんと生活できるか、それは親にとっては「わからない」ことだから心配になるんだと思うんです。だったら、親がいる間に、子供が「大丈夫だ」と思えるように、親自身が「この子は大丈夫だ」と安心できるようにサポートすることが、心配を和らげることに繋がるのかなって。
例えば、体調が良い時期が続いたら「B型作業所に行ってみれば?」と後押ししてみるとか、本人が「就職したい」と言ったら応援するとか。もちろん、それで体調を崩すかもしれないという心配はあるかもしれないけど、「親なき後」に何もできない状態で残されるよりは、本人の「働きたい」「作業所に行きたい」という気持ちが出てきた時に後押しする方が、結果的に「わからない」将来への心配が消えるきっかけになるかもしれない。そこで成功すれば、就職に繋がる可能性も出てきます。「わからない」状態から、「わかる(できるかもしれない)」状態に近づいていく気がするんです。だから、親なき後を心配するなら、今、本人がやる気になった事を後押しすることが大切かなと。

そうですね。当事者にやりたい気持ちが出てきた時は、心配かもしれないけど後押ししてあげるのがいいと思います。逆に、本当にずっと外に出られなかったり、調子が悪い状態が続いている時の心配ってどうしたらいいんでしょうね。焦りますよね、「このままだったらどうしよう」って。そういう時に「わかる」ことで心配を軽減できるとしたら…やっぱり「事例を知っておく」ことかなって今思いました。

事例、というと?

例えば、入院して退院したけど、陰性症状がひどくてずっと休んでいる、という状況。心配で仕方ないと思うけど、他の人、例えば私とか、回復を辿っている仲間の事例を知る。「ころたんは2ヶ月入院して、その後1年間自宅療養して、徐々に回復して社会と繋がりだした」とか。そういう例を知っていると、「今は心配だけど、もう少しサポートしていけばいいのかな」とか、見通しが立つというか。「わかる」ことに繋がるのかなって。

確かにそうですね、それも「わかる」ことに繋がると思います。「全くわからない」状態から、「良くなっている人がいる」という事実を知ることで、「良くならないわけじゃない」ということがわかる。それに、僕が最初に受診した時、先生に「10年スパンで考えなさい」って言われたんです。10年間様子を見るのはよくある話らしくて、これも「一生このままなんじゃないか」という不安を取り除ける言葉ですよね。
実際に薬を飲み続けながら働いている人も、薬なしで生活できている人も、障害者雇用で年金をもらいながら働けている人もいる。そういう「実際にいる人」を知ることで、「わからない」ことが限りなく「わかる」ことに変わっていく。
うちの子だけ絶対に治らない、なんてことはないんです。10年は見なさい、という言葉、僕はしっくりきています。僕自身は再燃を繰り返してまだ働けていませんが、ころたんさんは8年で働くところまでいけている。良くならないかも、という「わからない」不安は、実際に良くなっている人の事例を知り、薬を飲み、療養し、10年スパンで考えていく中で、「わかる」ものに変わっていくんじゃないかな。

心配な気持ちに支配されて、思考停止してしまうのは良くないですよね。「わからなくて不安で心配」というところから、一歩「わかろう」とすることが大事なのかなって思いました。

はい。今はネットで調べれば情報も出てくるし、僕たちのコミュニティ(オプチャ)で相談すれば誰かが答えてくれるかもしれない。わからないから心配する、不安になる、というのは僕の中にもあるので、「わからない」ことはみんなで「わかる」ようにしていこうよ、と今回の雑談で改めて思いました。

そうですね。私たちの発信も、その「わかる」ことに繋がって、誰かの心配な気持ちが和らげばいいなと感じました。

はい、じゃあ今回はこんな感じで終わりたいと思います。ありがとうございました。

ありがとうございました。
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