ころたんの日常 学会参加を通じて

日常の出来事

こんにちは!統失サラリーマンのころたんです!(*^^)v

先日の日本統合失調症学会のお話をまとめました。
本学会は研究者向けの専門的な発表だけでなく、当事者や家族、支援者といったさまざまな立場の人たちが交わる、とても開かれた場でした。

会場に足を運んでまず感じたのは、知識だけでは語り尽くせない「回復のかたち」が、至るところに存在しているということです。

家族と当事者をつなぐ時間

学会ではご縁のある仲間とともに、家族として支えている方々と会話する機会をいただきました。そこでは、わが子のことで悩み、迷い、涙する母親の姿がありました。そして、症状を理解しようとする葛藤の中で、病名を「伝えるべきか」悩む声もありました。

その問いに、私は自分の経験をもとにこう伝えました。

「病名は重くのしかかることもあるけれど、不可解な症状に説明がつき、自分や周囲の理解を助ける道標にもなり得る。」

病気に名前がついたことで、初めて安心できた、という方もいます。けれど、それが「レッテル」になってしまうこともある。だからこそ、告げるかどうかは、その人にとっての「支え」になるかどうかを見極めることが大切だと、改めて感じました。

「どう生きたいか」を支える治療のかたち

ある講演では、症状を矯正することを目的とした支援ではなく、「その人が何を大切にして生きたいか」という希望に焦点を当てる治療の在り方が紹介されました。

これはまさに、私がこれまで信じてきた「リカバリーの本質」そのものでした。生きがい、やりがい、誰かとのつながり。そういった「人間らしい願い」が、支援の中心に据えられることの大切さを再確認することができました。

精神的な支援というのは、目に見えにくく、構造化が難しい分野です。だからこそ、数字では表しきれない「心の回復の物語」を、どう支援や研究の中に取り込んでいくか。これは私がこれからも考え続けたいテーマです。

ことばのずれと、ことばの可能性

ある対話の場では、「当事者と研究者の言葉のズレ」が話題になりました。確かに、それはあるかもしれません。でも私は、それ以上に、「当事者の経験をどう研究の中に活かしていけるか」が今後の鍵だと感じています。

数字だけではなく、ことばにも意味がある。たとえ曖昧であっても、「誰かの生きた実感」が伝わる言葉には力がある。研究と実践が、その力を見つめ直していくことを願っています。

つながりの力、受けとめる力

印象的だったのは、幼い頃に精神症状が現れたお子さんの回復を語ったご家族の言葉でした。診断がつくまでの長い時間、見えない不安と向き合いながら、それでも「この子を守る」と決意した声には、会場が静まりかえりました。

病気を通じて得たつながりや、共に歩む人の存在。
それは、苦しみそのものを肯定することではなく、苦しみを経てもなお、未来を一緒に見つめてくれる人がいるという希望につながっていました。

ひと粒の種を蒔くということ

学会の最後には、「誰もが、少しずつでも何かの種を蒔いている」という言葉がありました。
たとえすぐに芽が出なくても、自分が蒔いた種が、誰かの力で育っていくこともある。そんな可能性を信じて、それぞれの場所でできることを続けていきたいと思います。


今回の参加は、私自身のリカバリーの歩みを見つめ直す機会となりました。そして同時に、多くの仲間がそれぞれの場で、苦しみと希望を抱えながら「ともに生きる」ことを実践していることに勇気をもらいました。

ひとりひとりの語りが、支援を変えていく。
そう信じて、これからも自分なりの言葉を紡いでいきたいと思います。

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