当たり前とはどういうことだと思っているのか。大地個人の見解

統合失調症について

こんにちは! 統合失調症歴11年の大地です!

先日ころたんさんとの雑談で『当たり前』とはどういうことかをテーマに話しました。

そもそも、僕がなぜ『当たり前』ということをテーマにしたのかなんですけど、昔のバイト先の店長で、バイトしている人たちに自分の考え方を押し付けるような形でキツく当たって、反論する人はすぐにクビにしたり、女性のアルバイトスタッフを泣かしたりしている店長がいたんですよ。

元の店長とは皆仲が良くて、その店長に代わるまでは皆楽しくバイトしていたんですけど、その店長になってから2年や3年勤めていたベテランの人たちが、どんどん辞めていったりクビになったり。

僕は丁度その時期に、再燃して幻聴やフラッシュバックが出てきたので、店長とは関係なしに辞めることになったんですけどね(;^ω^)

その店長は僕のことを超絶信頼していて、他のアルバイトスタッフの名前を言って『○○ってやついる?』などと、クビにするかしないかを聞かれたことがありました。でも、その店長が僕のことを超絶信頼するようになったのには理由があって、それが『当たり前』という話に繋がってきます。

ある時、大学の授業で「このレポート書いたら帰っていいですよ」と、レポートを授業が終わる5分前にレポートを渡された時があって、僕はLINEでバイト先に「授業が長引いたので30分遅れます」という内容の文章を送りました。

そして、その後バイト先に着くと店長に呼び出しをくらって、「今日なんて遅れたんだ?」と聞かれ、「LINEした通りで、授業が長引きました」と答えると、「俺は社会人になってから1回も遅刻をしたことがない」と自慢話が始まりました。

僕が「・・・凄いですね」と相槌を打つと、「凄くなんかない、社会人として『当たり前』だ」と言っていました。

その時、僕はその店長にこう言いました。

「社会人として当たり前の事かもしれないですけど、その当たり前のことが出来るということは当たり前じゃないんですよ。凄い事なんですよ。例えば、今回僕は学生で授業が長引いたから遅れたんですけど、社会人の場合、電車が遅れたとか、道が工事中でいつもの道が使えなかったから回り道していたら電車に乗り遅れたとか。遅刻を1回もしないということを『当たり前』という言葉で片付けてしまえばそれまでですけど、その当たり前なことが出来ているのって、実は誰でもできる当たり前な事ではなくて、凄い事なんですよ」

僕のその言葉を聞いた店長は、少し黙って「・・・そうか」と言い、その後も黙っていたので、僕は「仕事に行きますね」と言って事務所を後にしました。

この時の僕は、店長がちょっとでも他のアルバイト仲間のスタッフに優しくなったらいいなという気持ちもあり、『当たり前』という言葉に反論したのですが、この出来事以降、僕は店長から超絶信頼されるようになりました。そして、この時の『当たり前』に対する僕の考え方や言葉って、今の自分や統合失調症で出来ないことがある人に重なるなって思ったんですよ。

それを思い出して、ころたんさんと『当たり前』をテーマに雑談しした訳なんですけど、統合失調症になってできなくなっている事ってあるんですよ。記憶力が悪くなったり、やろうと思っていても体が言うことを聞かなかったり。

統合失調症だからできない事がある・できなくなっている事があるのは『当たり前』なんですよ。症状でそういうものが出るんです。

統合失調症の人は皆、過去にできた事でできなくなっていることがあるんです。

統合失調症で勘違いしている人が沢山いるのでもう一度言いますが、統合失調症だからできない事がある・できなくなっている事があるのは『当たり前』なんですよ。むしろ、できることは『当たり前』じゃないんですよ、凄い事なんですよ。

できて当然という考え方が根本にある人って、理想高すぎると思いますよ。

できなくなっているから、また1から始めようとか、1から積み上げていこうとか。できない自分を受け入れる勇気というものも、統合失調症と付き合っていく上で必要なのかなって思いました。

今日も頑張ってお薬飲みます! 皆さんも一緒に頑張りましょう(≧▽≦)/

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