〜精神疾患を経験した私が考える、がんばることの意味〜
こんにちは!(^^)!統失サラリーマンのころたんです!
みなさんは、「努力しなきゃ」「もっとがんばらなきゃ」と言われて、苦しくなったことはありませんか?
精神疾患を経験した私たちは、時に「もうこれ以上無理」というところまで頑張ってしまうことがあります。
でも一方で、「努力しないと変われない」と思う自分もいたりして。
今日は、そんな「努力」という言葉についてころたんが考えてみたいと思います。
なぜ「努力」という言葉がしんどいのか
私自身、精神疾患で入院したり、自宅療養をしたりしていた時期、いろいろな言葉をかけられました。
「もっと努力しないと治らない」「社会復帰するにはがんばらなきゃ」と言われたこともあれば、逆に「無理せず休みなさい」「がんばらなくていい」と繰り返し言われたこともあります。
でもどちらの言葉も、当時の私には重く感じられました。
「努力しろ」と言われれば、「これ以上何をがんばればいいんだ」と自分を責め、
「休みなさい」と言われれば、「自分は努力することさえ許されない存在なんだ」と孤独を感じました。
結局、どちらの言葉も、私が「どうしたいのか」「どうありたいのか」 という気持ちを置き去りにしたものだったのかもしれません。
それでも「努力」が必要だったと気づいた瞬間
では、「努力」という言葉そのものが悪いのでしょうか?
今振り返ってみると、私がリカバリーの道を歩み始めたのは、小さな努力を重ねたからでもありました。
・朝起きて、カーテンを開けること
・一日一回、誰かと言葉を交わすこと
・体調がいい日は、少しだけ外に出てみること
それは「がんばれ!」と誰かに強いられた努力ではありませんでした。
自分が、「このままじゃ苦しい」「変わりたい」と願ったときに、自分のために始めた努力だったのです。
「努力しろ」という言葉が酷かどうかは
私は今、こう考えています。
「努力しろ」という言葉が酷かどうかは、
✔ その人のタイミング
✔ 伝え方(上から目線か、寄り添うか)
✔ どんな「努力」を指すのか
で、大きく変わります。
心が限界のときに、「がんばれ」はただの暴力になります。
でも、少し元気が出てきたときに、誰かがそっと「小さな一歩を踏み出してみようか」と声をかけてくれるなら、それは希望になります。
努力は、押しつけられるものではなく、「自分で選べるもの」。
私はそう思うようになりました。
あなたにとって、「努力」とは?
最後に、この記事を読んでくださったあなたに問いかけたいと思います。
あなたにとって、「努力」とはどんなものですか?
誰かに「努力しろ」と言われて、どんな気持ちになったことがありますか?
どんな言葉だったら、あなたは「一歩踏み出してみようかな」と思えるでしょうか?
私たちと一緒に、「努力」という言葉の重さと温かさについて、考えてみませんか。
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当事者でも、ご家族でも気になった方は是非一度入ってみてください(^▽^)/
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今日も頑張ってお薬飲みましょう(^_^)/
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