こんにちは!統失サラリーマンのころたんです!
今日は少しセンシティブな話題を取り上げようかなって思うんです(´・ω・`)ころたんの意見の1つくらいに思ってもらえると幸いです。
もし、あなたが冗談を言った時、友達に、「障害者かよ!」って言われたらどう思いますか??きっと嫌な思いになるでしょう。私も嫌な気持ちになると思います。私の身の回りにはこんな冗談を言う仲間はいませんが、よく聞く話ですよね。私がもし、そんな冗談を言われたら、こう聞くかな。
「君は障害者ってどんな人のことを言うと思っているんだい?」
きっとね、そういう人の言う”障害者”って”どこか様子のおかしい人”って思ってるんじゃないかなと思うんですよね(´・ω・`)ころたんは障害者の定義を調べてみました。日本国語大辞典 第7巻には以下のように書いてあるそうです。
「身体障害、知的障害、又は精神障害があるため長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」
読めば当然様子のことについてなど、書かれてないんですよね。障害のある人の症状や生活状況は多種多様であり、一括りにすることはできません。それに、反論として、「よく見かける障害者みたいだ」と言われたら、
「それって、君の持っている”障害者像”があるってことだよね?」
相手は自分が無意識にどんなイメージを持っているのかを考えざるを得なくなります。そして、そのイメージが偏見やステレオタイプによるものかもしれない、という気づいてくれるかもしれません。
それでも、たとえば、相手が「いや、だって障害者って○○な感じじゃん」と言うなら、それを受けて、「それって、みんながそうなの?たとえば僕みたいな人もいるけど、それでも”障害者”っていう言葉をそういう意味で使うの?」と投げかけるかな(・∀・)
以上は極端な例だけれど、意外と偏見やスティグマって、気付けないものだと思うんですよね。
ここからが本当に皆さんに伝えたいことです。
「偏見的な視点で自分自身(家族)のことを見ていませんか」
という問いです。私は、統合失調症の多くの仲間と出会い交流をしてきて、様々な人の考えに触れてきました。
そんな中で感じているのが「自分自身(家族)を障害者だと受け入れられない」あるいは、「自分(家族)が障害者だと思うと苦しい気持ちになる」という人が多いなということです。
ころたんは自分が障害者であると平気で言えます。なぜかというと、障害者を言葉の定義以上にも、以下にも見ていないからです(・∀・)
もう一度定義を見てみましょうか。障害者とは「身体障害、知的障害、又は精神障害があるため長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」。「相当な制限」というのは「国や行政がサポートが必要だと判断するほどの制限」と言い換えて考えていいと思います。よく、障害者手帳2級とかっていうのは、その度合だと思っています。
それ以上でも以下でもないと捉えるというのは、言葉通りに受け止めるということです。ころたんは自分のことを正に障害者だと思ってます。統合失調症という、日常生活や社会生活に相当な制限を受けるとされる病気を持っているからです。
「その考えはわかる、でも、社会的な偏見を持たれるのは嫌じゃん!」という声も聞こえてきそうですね。確かに、障害者であることを受け入れるのと、偏見に晒されることを受け入れるのは別の話です。社会の偏見によって、不当な扱いや差別を受けるのは誰だって嫌だし、怖いと感じるのは当然です。
でも、ここで改めて考えたいのは、「偏見を持たれることを恐れるあまり、自分自身がその偏見を内面化してしまっていないか?」ということです。
たとえば、「自分は障害者ではない」「そんなふうに思われたくない」と思う背景には、「障害者=何か特別に劣っている存在」だという社会的な価値観が影響しているかもしれません。でも、障害者というのは、さっきの定義の通り、「社会生活に相当な制限を受ける人」のこと。ただそれだけなんです。
もし、「障害者と見られるのが嫌だ」と感じるなら、その「嫌だ」と思う気持ちがどこから来ているのか、一度考えてみるのもいいかもしれません。
本当に嫌なのは、「障害者であること」そのものではなく、「障害者=○○な存在」という社会の偏見に基づいた見られ方をされることではないでしょうか?
そう考えたとき、私たちにできることは二つあります。
- 「障害者=○○」という固定観念を解体すること
「障害者」と一括りにされるけれど、その実態は人それぞれです。仕事をしている人もいれば、していない人もいる。活発な人もいれば、静かな人もいる。つまり、「障害者」という言葉のイメージが、現実の多様な姿とズレているなら、そのズレに気づき、周囲にも伝えていくことが大切です。 - 「障害者であること」を、ただの事実として受け入れること
障害者であることは、「人としての価値が低い」とか「普通とは違う」という話ではなく、ただ「サポートが必要な状態にある」ということ。これを、自分自身も偏見なく受け入れることができれば、周りの見方も少しずつ変わっていくかもしれません。
「でも、それでも偏見はあるじゃん!」と思うかもしれません。たしかに、すぐに偏見がなくなるわけではありません。でも、偏見があるからこそ、まずは自分自身がその偏見を受け入れないことが大切なんじゃないかな、と思うのです。
私は、統合失調症である自分を「ただの事実」として捉えています。誰かが「障害者かよ!」と冗談で言うのなら、それはその人の「障害者」への固定観念の表れ。でも、それに対して「いや、違うんだよ」と伝えていくことで、少しずつでも社会の見方を変えていけるのではないでしょうか。
偏見をなくすのは簡単なことではないけれど、まずは「自分の中にある偏見」に気づくこと。そこから始めていくことが、大事なんじゃないかなと思っています。
今日も頑張ってお薬飲みます!皆さんも一緒に頑張りましょう(≧▽≦)/
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