統合失調症の対談② 認知行動療法の「認知」ってなんだろう?~現実の受け取り方と病識を考える~

2人で雑談したこと

はじめに

この対談記事は、統合失調症の当事者である私たち二人が、自らの経験や考えを共有するものです。

本記事の内容は、医師や専門家の監修を受けたものではなく、あくまで個人の見解に基づいています。治療や診断に関する情報は、必ず専門の医療機関にご相談ください。

読者の皆様が何かしらのヒントを得たり、考えるきっかけとなれば幸いです。どうぞご了承ください。


ころたん
ころたん

はい、今日も対談、始めていきます。よろしくお願いします(^_^)/

大地
大地

よろしくお願いします。(^_^)/
前回は「認知行動療法」の概要や、日常でできることについて話しましたね 。その中で、ころたんさんから「そもそも『認知』って言葉難しくないですか?」という問いかけがありました。

ころたん
ころたん

そうなんです。私も「認知ってなんだっけ?」と改めて思ったので、今日はその「認知」について深掘りしていけたら、認知行動療法への理解もより一層深まるかなと思っています。

大地
大地

ということで、今回も前回に引き続き「認知行動療法について」というリクエストについての対談をしていこうと思うのですが、今回は「認知」について深堀しようと思います!!

ころたん
ころたん

ありがとうございます!

大地
大地

まず、僕も認知という言葉は聞いたことがあったのですが、意味までは知らなかったので、僕の方で「認知」という言葉を調べてみたんです。そうしたら、「認めること」というような意味が出てきました 。例えば、法律上の婚姻関係によらず生まれた子を父や母が自分の子だと認める行為とか、あるいは外界を認識すること、といった説明がありました。この例で言うと「外界を認識すること」に当たるんじゃないですかね。

ころたん
ころたん

なるほど。「認知」は、私たちが現実をどう受け取り、どう意味づけるかに関わるもの、という説明もありますね 。

大地
大地

ということは、やっぱり人それぞれ「認知」の仕方、つまり物事の捉え方って違うということなんでしょうか。同じことでも、人によって受け取り方が異なったり。

ころたん
ころたん

うんうん。そこが、統合失調症を発症している私たちにとっては、現実を受け取って意味づける際に「歪み」が生じやすい部分なのかな、と感じています 。

大地
大地

なるほど。確かに、不安定になりやすい部分ですよね 。

ころたん
ころたん

妄想も、現実とかけ離れたことを信じ込んでしまう症状ですよね 。つまり、現実を受け取る時に、非現実的な意味を持たせてしまう。そこで認知に歪みが出ているのかな、と。

大地
大地

難しいところだと思うんですけど、妄想の症状が出ている時って、本人はそれが症状だとは認知していなくて、現実だと認知している状態ですよね 。そうすると、認知行動療法自体、病識がすでにある人や、病気を受け入れている人がやった方が効果的なのかな、と。病識がない状態でやっても意味があるのか、ちょっと疑問に思ってしまいました。

ころたん
ころたん

それは確かに気になるところではありますね。でも、妄想が生じていて、それを現実だと信じ込んでいる状態から、認知の歪みを直して妄想から脱するというアプローチもあると思うんです。

大地
大地

つまり、認知行動療法によって、その状態から抜け出す手助けになる、ということですかね?

ころたん
ころたん

病識が「ある」「ない」で、くっきり分けられるものでもなくて、グレーゾーンの中でだんだんと現実を正しく認知できるようになっていく、という地続きのプロセスだと思うんです。だから、必ずしも病識がないと認知行動療法が成り立たない、というわけではないと私は思います。

大地
大地

なるほど。具体的に認知行動療法の認知に関してはどんなことをするんでしょうか?

ころたん
ころたん

そうですね、認知行動療法の中にも、皆さんがよく耳にするかもしれないCBT(Cognitive Behavioral Therapy)があります。これは、認知、つまり物事の受け取り方や考え方に働きかけて心のストレスを軽くしていく治療法ですね。そして、比較的新しいアプローチとしてCT-R(Cognitive Therapy for Recovery)というものもあります。これは、統合失調症を持つ方が、目標を設定し、それに向かって主体的に行動することでリカバリーを目指す、より積極的な関わりを重視した心理療法です。これらの詳しい内容については、また別の機会にお話しできたらと思います。 今回は、まず基本となる「認知」とはどういうことなのか、という部分をもう少し掘り下げていきたいのですが、いいですか??

大地
大地

はい、CBTやCT-Rについても興味がありますが、まずは「認知」の理解を深めるのが良さそうですね。

ころたん
ころたん

では、この「認知」、つまり現実をどう受け取り意味づけるか、という点ですが、それは人それぞれで認知の仕方が違う、というところが大切なポイントかなと思っています。

大地
大地

認知(現実をどう受け取り意味づけるか)に関しては人によってできること、できないことがそれぞれ違いますよね。

ころたん
ころたん

そうですね。そして、認知は主観的なものだと私は考えています。

大地
大地

例えば、どういう感じでしょうか。

ころたん
ころたん

うーん、そうですね…。例えば、職場で咳払いをする人が苦手だという人、結構いませんか?

大地
大地

ああ! いると思います!

ころたん
ころたん

その咳払いに対して、「圧をかけている」とか、そういう風に意味づけをしてしまう人がいる。 貧乏ゆすりもそうかもしれません。貧乏ゆすりをしている人を見て、「イライラしているんじゃないか」と感じる人は多いと思います。 つまり、貧乏ゆすりがとても嫌いな人は、その行為に対して「イライラ」という意味づけを強くしている、と言えるのかもしれません。

大地
大地

という事は、その行動を起こした人が実際にどう考えていたか、どう感じていたかではなく、自分がどう感じたか、どう感じたか、はたまたどう受け取ったかが、認知の働きのきっかけになるのかな、と感じました。

ころたん
ころたん

まさにそう思います。自分の中の受け取り方や意味づけの方法であって、人それぞれ認知の仕方や癖は様々です。そして、統合失調症の当事者は、その認知に歪みが生じていることが多いのではないかと、私自身は感じています。大地くんは、ご自身の経験の中で、この「認知の歪み」について何か思い当たることはありますか? 例えば、症状が強く出ていた時など、今振り返ってみて「あの時の自分の現実の受け取り方は、少し違っていたかもしれないな」と感じるような経験はありますか?

大地
大地

はい。例えば僕なんかは、妄想の症状がひどかった時に、「自分は異世界に招かれている」と思い込んでいました。今となってはわかるのですが、当時はそれを強く認知していて、その認知自体が歪みだったのかな、と。普通の人が考えないような、おかしなことを言っていました。でも、僕にとってはそれが「正しいこと」だと思っていたんです。周りから見れば、それは認知の歪みと捉えられていたんだろうな、と感じます。

ころたん
ころたん

大地くんのその妄想に至るまでには、様々な認知の歪みが重なって、その結論に達したのかな、と思います。そして、「それが現実だ、正しいことだと思っていた」という話がありましたが、自分の中で「正しいこと」だと現実を決定づけるところに、認知行動療法のポイントがあるように思うんです。でも、そもそも何が現実で、何が正しいのかを決めること自体、とても難しいことですよね。

大地
大地

そうですね。統合失調症だからとか、認知の歪みがあるから、という以前に、正しいことを正しいと判断できるかどうかって、結構難しいことだと思います。
僕は、正しい事って「自分が思う正義」だと思うんです。自分が思うという言葉が付く以上、それを正しくない(正義ではない)と判断する人も出てくる。それが「正しい」ということをするという事の難しさだと思うんです。僕が歪んでいた時は、自分の考えていた「正しいこと」が、まさに認知の歪みとして現れていた出来事でした。

ころたん
ころたん

それをどう修正していくかを考えた時、単に「それは間違っているよ」と言ったところで、本人が信じている「正しいこと」が変わるわけではない。それを変えようとすることは、とても大変なことだと思います。そして、その「正しいこと」というのは、どこまでいっても「自分が正しいと思っている」という主観が伴います。誰にとっても普遍的に正しいことというのは、科学的に証明されたことや、ごく一部のことに限られるのかもしれません。

大地
大地

でも、その科学的な証明も、それをする人がいて初めて成り立つわけですよね。その証明する人は、それまでの常識とは違う考え方を持って、「これが正しいんじゃないか」と思いながら証明していく。だから、科学的に証明されたことや、今までやってきたことだけが正しいとも限らない、という側面もあると思います。

ころたん
ころたん

それを聞いて今思ったのは、科学者が科学的に正しいことを証明するのと同じように、私たちも現実を受け止める時、自分の経験を元にして、その現実を「正しいもの」として意味づけ、受け止めている、ということなんです。その過程の中で、どこかでその「証明」が現実離れしてしまった時に、認知が歪んでしまう、ということが起こるのかな、と。

大地
大地

う~ん、難しいですね。例えばSNSなどで間違った情報が流れてきて、それを正しいと信じ込んで、色んな人に拡散してしまう。その結果、間違った情報を信じてしまっている人が多くなってしまう。という実態がよく問題になっていますよね。あれも、間違った認識を持ち続けたら、認知が歪んでいると言えるんでしょうか。統合失調症とはまた違うものですかね?

ころたん
ころたん

SNSで間違った情報、デマを真に受けてしまう人が多いというのは、確かに統合失調症における認知の歪みと通じる部分があるように思います。全くの作り話を現実だと受け止めてしまう、という点で。

大地
大地

そうなんですね、統合失調症の例で言うと、例えば薬を飲んで寛解状態になったとしても、「もう自分は何もできるようにならないんだ」「大好きな趣味も諦めなければならない」と思い込んでいたら、それは認知の歪みと言える気がするんです。
SNSの間違い情報を信じて、間違ったままの情報をずーっと信じ込んだまま生きていくのと、病気によって「できるようになる可能性」を見出せなくなって本当は出来るようになる事を出来るようにならないと認知したまま生きていくのと、どちらも後天的に考え方の感覚が少し間違った方向に行ってしまっているという気がして・・・。

ころたん
ころたん

うーん、大地くんが話してくれた「病気が良くならないんだ」という決めつけも、やはり認知が影響している部分はあると思います。病気の回復については、誰しも絶対的な答えは持っていません。そんな中で、現実を「回復しないものだ」と断定してしまうのは・・・。

大地
大地

回復する可能性を受け入れられなくなっている、ということですかね。ころたんさんが漫画や絵本から始めて本を読めるようになったのは、「また読めるようになるんじゃないかな」という可能性や希望があったからですよね。もし認知に歪みがある人だと、そういう情報があっても「自分はできるようになる可能性はないんだ」と決めつけてしまうのかもしれない。

ころたん
ころたん

そこが、私が思うには、認知の「歪み」というよりは、捉え方の「癖」の問題なのかな、と。今まで話してきた、物事をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかのバランスが、ネガティブに寄っているかどうかの「癖」だと思うんです。ただ、その癖を良い方向に転換していくのも、認知行動療法の大切な側面の一つです。私の意見としては、認知行動療法というのは、そういった認知の仕方の歪みや癖を、以前の症状が発症するまでに培ってきた経験からくる認知を、療法を受けることによって歪みを解消したり、癖を良い方向に変えたりして、行動と結びつけて治療していくことなのかな、と思います。

大地
大地

「認知の歪み」という言葉について改めて調べてみたんですが、「物事を客観的に捉えられず、偏った思考パターンに陥ること」とありました。以前話した、自分を客観視できないとか、物事を客観的に捉えられない、ということが「認知の歪み」という認識でいいんでしょうか。

ころたん
ころたん

そうですね。先ほどの回復するかどうかを信じる心の持ち方についても、極端にどちらかに偏って客観的に見えていない、現実的には回復するかしないかなんて究極的にはわからないのに、「回復しない」と全振りしてしまっている状態は、ある意味では歪みと言えるかもしれません。

大地
大地

具体例として、「成功か失敗か」「良いか悪いか」など、物事を0か100かでしか考えられない、というのも認知の歪みの一つらしいです。僕が言った「可能性」を本当に0か100かでしか考えられない人がいたら、その人は認知が歪んでいる、ということになるんですね。

ころたん
ころたん

その「癖」という言葉を使ったのは、それまでの過程を含むニュアンスで、「歪み」というと、その時点の状態を指すのかな、と今ちょっと思いました。経験を積む中で、認知の仕方には偏り(バイアス)が生じてくるものだと思います。症状が発症した時点では、その偏りが大きくなっている人が多い。その偏りをどう解消していくかが、認知行動療法のポイントの一つかな、と。

大地
大地

僕は認知行動療法という言葉は聞いたことがありましたが、どういうものなのか、そもそも「認知」という言葉の意味も考えたことがありませんでした。今回、ころたんさんに教えてもらいながら、SNSの例などを出して模索してみましたが、認知行動療法については、また対談の記事を出していく予定なので、また教えてもらいながら進めていきたいです。

ころたん
ころたん

はい。今回は「認知」という、物事の受け取り方や意味づけの部分について、私たちの経験も交えながら深く掘り下げてきましたね。認知の歪みや癖に気づき、それをどう捉え直していくかという、認知行動療法の入り口に触れられたように思います。

大地
大地

そうですね。では、次回は認知行動療法のもう一つの柱である「行動」について、具体的なアプローチや、それが私たちのリカバリーにどう繋がるのか、といったお話ができたら嬉しいです。

ころたん
ころたん

はい、ぜひそうしましょう。行動に焦点を当てることで、また新たな気づきや実践のヒントが見つかるかもしれませんね。今日はありがとうございました。

大地
大地

ありがとうございました!!

ころたん
ころたん

ありがとうございました!!

コメント

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